大衆の病理
仕事をしていて感じるのは、人々が問題を解決しないということ。問題や不都合はそこにあるのに、それを何とかしようとしない。そして他者を否定しようとしない。トラブルを恐れているのか、否定することで自分が悪者になることを恐れているのか。
以前購入した西部邁の『大衆の病理』(NHKブックス)を読み返していたら、次のような言葉があった。
205ページ
どういうことかといったら、言葉というものは、もともと、断固として互いに内政干渉するものなのだということです。つまり、夫は妻に内政干渉し、妻は夫に同じことをする。友人同士も、執筆者と編集者もそうです。内政干渉しないような言葉なぞというものは、要するに、軽い言葉です。人間が意味を求める、価値を求めるとしたら、必ずや他者に食い込むわけですよ。あるいは、自分が食い込まれるわけです。外交関係も同じです。中国人が昔たくさんの同胞を殺されたという怨念の感情を持って靖国けしからんというふうにいうのは、それは内政干渉ですが、当たり前のことなのです。
206ページ
新人類も同じことをやるだろうと思っているのですよ。何十年か後には、いまの民主主義が残した形骸――内政干渉はいけないんですよというふうな形骸化した決まり文句だけは残るのでしょうね。新人類が吐くであろう言葉は、互いに内政干渉しない言葉でしょうね。ということは男女がわかり合えず、友人もわかり合えず、上司と部下もわかり合えずという、実に虚しい軽い言葉だけが、内政干渉を排するという民主主義の託宣によって、流通するのを保証されることになるのでしょう。
ともかく言葉というのは内政干渉するものです。あまり内政干渉されれば頭にきますが、内政干渉されなければ、なんで言葉を吐いているかわからないわけです。そういうきわどいところに言葉が吐かれるんだということについてきちんと考えつめたうえで、言葉の意味を保守しようといっているような保守派は、日本に、ほとんどいないと思う。
奥付を見ると、この本は昭和62年(1987年)の1月に発売されている。「新人類」という言葉は当時の流行語で時代を感じされるが、206ページの言葉は現在の状況を予言したようだ。
僕たちはばらばらで、砂の民のよう。
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